Poul Kjaerholm
デンマーク出身のポール・ケアホルム(1929-1980)は、家具職人としての修行を終え、1950年から2年間、北欧デザインの巨匠ハンス・J・ウェグナーの事務所に勤務し、当時から高い評価を得ていました。その後はフリッツ・ハンセン社に勤め、注目に値するチェアのプロトタイプを数多くデザインしますが製品化には至らず、わずか1年で同社を離れます。
その後、ウェグナー事務所勤務時代に知己を得たアイヴァン・コル・クリステンセンと協働を始めます。 コルは当時、5社の家具メーカーと共同で、ウェグナー家具の販売と営業を行うユニークな販売会社「サレスコ(SALESCO)」を1951年に設立し、ウェグナーの名を世に広めた、やり手の販売エージェントでした。 金属、木材、皮革、籐など、異素材を混合したケアホルムの斬新なデザインにすぐに虜になったコルは、ケアホルムの家具を製品化するために手を組み、1956年にE. Kold Christensen 社として最初のコレクションを発表しました。コルは、品質に一切妥協しないケアホルムの方針に従い、パーツや素材ごとに専門技術を備えた職人たちに製作を依頼し、それを組み立てて販売するという独自の生産システムを作り上げていきました。
そして1957年、PK22チェアが、当時のデザイン界でも最も権威のあるデザイン・アワードだったミラノ・トリエンナーレのグランプリを獲得。ケアホルムの死後、彼の才能を最初に認めたフリッツ・ハンセン社に家具の製造権を譲渡され、1951年から67年の間に開発された「ケアホルム・コレクション」は、現在も製造と販売が続いています。