Jean Prouvé
フランス生まれのジャン・プルーヴェ(1901-1984)は、工芸家の父とピアニストの母のもと、アール・ヌーヴォーの一大拠点であったナンシーの地で多くの工芸品に囲まれて育ちました。15歳で金属工芸家、エミール・ロベールのもとに弟子入り。1923年に独立し、鉄製のランプや階段の手摺などの製作・デザインを手掛けていました。
1931年、ナンシーでアトリエ・ジャン・プルーヴェを開設。「とにかく大量生産に繋がることをやりたい」というプルーヴェの信念のもと、急速な勢いで最高の開発力、技術力を誇る工場へと成長し、10年経たずに従業員80人以上の工房へと拡大しました。 この頃の勢いを後押ししたのが、ナンシーの大学都市の寄宿舎のためにデザインしたチェア、デスク、本棚、ベッド等でした。アトリエにとっての初めての公共事業で、大量発注されたこのプロジェクトがきっかけでプルーヴェの名はさらに世に広まり、後に学校用家具を多く手がける事に繋がります。また同時期に、パリでル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンらと出会い、彼らと現代芸術家組合(UAM)を設立しました。
戦時中はレジスタンス運動に積極的に関わり、1944年にはナンシー市長に選出されます。1971年、パリのポンピドゥー・センター国際設計コンペにおいて審査委員長を務めました。2002年以降は、Vitra社にて現在でもプルーヴェの家具が製作され続けています。